前例主義にならない実名報道を マスコミ倫理懇「思考停止防げ」
新聞社や放送局などでつくるマスコミ倫理懇談会全国協議会の第60回全国大会は29日午後、福岡市の会場で分科会が開かれた。事件に遭った被害者が匿名で発表される状況が相次いだことについて、参加者から「実名報道を社会に理解してもらえなければ、その都度(マスコミ自身が)必要性を説明しなければならない。思考停止に陥ってはならない」との声が出た。■
実名報道がテーマの分科会では、7月の相模原障害者殺傷事件で、警察が遺族の意向を受け、殺害された19人を匿名にした事例を毎日新聞の青島顕記者が報告。「前例主義にならず、実名報道の必要性を考え続けることが大切」と話した。
(共同)
『世界』10月号
小特集「相模原事件の問い」
「語り」に耳を傾けて──分岐点を前に
熊谷晋一郎 (小児科医、東京大学)
福祉番組の制作現場から相模原事件を考える
熊田佳代子 (NHK)
施設で生きるということ──施設生活者の戦後史からみえるもの
有薗真代 (京都大学)
同じような事件の発生場所が障害者施設でなければ、被害者の氏名は公表されたはず。と考えると、今回の匿名報道は障害者差別を促す可能性がある。
熊谷さんは、匿名報道の背景を考えるうえで、当事者の声を紹介し、障害者の置かれている状況の変化を指摘する。名前を公表してほしくないと思った家族は、いまや「全ての命は存在するだけで価値があるということは当たり前ではないので」と語る。それまでは亡くなった弟といっしょに生きようと決めていた女性の声だ。他方、障害者運動にかかわってきた人の中からあがった匿名報道批判の根幹は「名前のない存在として覆い隠されようとしている」ことにある。
熊田さんは「いずれは自分に返ってくる」という小見出しのもと、藤井克徳さんの発言をひく。
障害者を排除すると、次に病人、次に女性と次々と弱い者探しが広がっていく。これくらいならと見過ごしていくとそのうちに歯止めがきかなくなる。どんなことにも前触れがあり、障害者に問題が表れやすい。これが前触れの警鐘だととらえることが大事だと感じた。「貧しい人 病人 非生産的な人 いて当たり前だ」。ミュンスター司教のクレメンス・アウグスト・フォン・ガーレンのことばだ。
施設から地域生活への移行という「脱施設化」は、いま障害者基本計画に「社会福祉予算の削減を正当化する言説」として盛り込まれ、施設解体が先行しつつある。「地域で自立生活を行なうことと、施設・グループホームで暮らすこと。このふたつを同時に肯定するための論理と戦術が必要である」(有薗さん)。