戸田山和久さんの連載「とびだせ教養」がおもしろい(ちくま)。第3回は「たかが知識、されど教養」。
知識がないと、ダイ・ハードだってわからない !
「ダイ・ハード」はよく知られたアクション映画。
しかし……
ダイ・ハード3にこんな場面が出てくる。前段がわからないと雰囲気も事情もわからないが、そこは本編を読んでほしい。日本語字幕で再現すると、こんな感じになる。
マクレーン「悪かったよ」
ズース(アフリカ系男)「ジュースと呼んだな ?」
「違うのか ?」
「ジュースじゃない。俺の名はズース(ゼウス)だ。ギリシア神話に出てくる。ゼウスはたたりの怖い神だぞ。文句あるか ?」
これを、彼が「ちゃんと訳すと次のようになる」。
「オーケー、ヘズース。巻き込んじまって悪かったな」
「どうして、さっきから俺のことをヘズースって呼ぶんだ。プエルト・リコ人に見えるか ?」
「さっきの奴がヘズースって呼んでたじゃないか」
「そうじゃない。あいつは「ヘイ。ズース」って言ってたんだ。俺の名前はズースだ」
「ズース ?」
「ズースだ。オリンポス山の。アポロンの親父と同じ。俺を怒らせるとケツの穴に雷落とすぞ、のズース(ゼウス)だ。文句あるか」
ヘズースはイエスのスペイン語読みで、ヒスパニック系にはよくある名前らしい。ニューヨークでヒスパニックといえば、まずプエルト・リコ人。マクレーンがヘズースと聞き違えたのを訂正する際、ズースが「プエルト・リコ人に見えるか ?」と言うのはそういうわけだ。
これでも、会話がよくわからない。実は単なる名前の間違いではない、と、このあとの場面を説明してくれる。よきサマリア人がの譬え話が出てくる。考察が一段と深まる。教養のなせる技だ。
ジェームス・キャメロン監督は、ターミネーターについてインタビューでこう言っていると、紹介してくれている。
プロデューサーのゲイル・ハードと僕は二つのレベルでうまくいく映画をつくろうと考えた。12歳の子が、こんないけてる映画見たことないと思うようなアクションとして、そしてスタンフォードの45歳の英文学教授には、社会政治的意味合いが隠されていると思ってもらえるようなSFとして。
勉強がまったく足りない、と痛感。