森まゆみさんがscriptaに連載中の「30年後の谷根千」、固有名詞がたくさん出てきて興味が尽きない。第5回は「和菓子屋」(winter 2018 号)。
きき菓子の会ができた経緯は言葉遊び。聞き書き→利き酒→利き菓子→聞き菓子→「利き」と「聞き」を兼ねて「きき」。
朝倉文夫は谷中に住んだ。朝倉彫塑館は明治に立てた住居とアトリエの昭和初期の改築。朝倉邸の地下には「谷中の大井戸」があり、今もコンコンと溢れている。水質は、灘の生一本の醸造用と同じくらいのよさ。その水で彼はセリを育てた。この水は、彫塑館の屋上にある庭園を潤しているのだろうか。
彫塑館には彫像作品以外も展示されていて、建物も含め、全体が彼の「小宇宙をなしている」。先日行った時(1年半前だった)の気持ちをうまく書けなかったが、森さんの一言は言い得て妙。
この時代の有名人同士の交流もおもしろい。以下は森さんの文章から適宜。
大分県に生まれた朝倉文夫は19歳で上京、谷中に住む。子規(雅号の子規はホトトギスの異称。結核を病み喀血した自分を、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスにたとえた)の根岸派に入り、俳人になりたかったようだが、上京した日が子規の通夜だった。以来、谷中に住むが、近くに「青鞜」の田村俊子夫妻がいて、親交がある。根岸の浮世絵師尾竹越堂とは友人で、彼の家に行くと、娘の尾竹紅吉(べによし)や神近市子、伊藤野枝がいて「新しい女」に酌をしてもらおうと悦に入ったこともあるようだ。
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森さんのこのエッセイで、大名博物館2代目館長、上口(かみぐち)等さんが紹介されている。初代館長のお父さんは愚朗を名乗っていた。彼の本業は洋服屋さん。ふつう高級洋服店とするところを「中等洋服店」と名乗り、子供には洋一、服恵、等と命名。
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豊後大野市(大分)の関連施設
・朝倉文夫記念館 www.bungo-ohno.jp/categories/shisetsu/asakura/
・愛の園生 朝倉文夫記念公園 www.bungo-ohno.jp/categories/shisetsu/asakura/park/ ※建物設計は朝倉の教え子清家清、造園設計は彫刻家の澄川喜一、展示設計は娘の朝倉摂がそれぞれ担当。