「70億のオンリーワン」から抜粋
親が責任の重さをひしひしと感じるのは子供に名前をつけるときである。最近の名前の傾向は、これこれという特定の名前ではない。ごく普通の名前が減っていることなのである。アメリカ社会保障局は1879年以降に生まれた子供の名前をデータベース化しており(www.ssa.gov/OACT/babynames/)、この流行を裏づけるデータを提供している。
親から名前を授かるのは、目立とう、個性豊かであろう、人とは違うところを見せようとする人生最初の行為である。実際のところ、1990年代にカリフォルニア州で生まれた223人が「ユニーク」と名づけられた。綴りを変えている親もいた。普通と違う綴りも流行している。
この風潮を生んだのもセレブリティである。子供に目立つ名前をつけたいという発想にはナルシシズムの要素がある。
誰もが個性的な名前をつけたいと思うようになったのにも、そうせざるをえなくなったのにも、テクノロジーが影響している。ウェブサイトにまったく出てこない名前を選ぼうとする。めずらしい名前の人は、すぐに見つかる。
人と違う個性的な人間になってほしいという思いが強いなら、それはナルシシズム流行病の症状だ。
子供にありふれた名前をつけるのは悪いことではない。前の世代の多くの人がそうやってきたのだ。しかも、誰でも自分の名前を正しく綴れた。エルヴィスやマドンナの例があるとはいえ、名前が個性的なら成功するというわけではない。誰かと同じ名前なのも、子供同士が仲よくなれていいものだ。小学校でのけんかも少し減るかもしれない。
子供におまえは特別だと言ってはいけない。愛していると言おう。
トウェンギ+キャンベル(桃井緑美子訳)『自己愛過剰社会』河出書房新社
名前ももちろん社会的存在。関係を結ぶ契機。読める、書ける中にも選択肢はいろいろある。ところで、こういうデータを利用できるようにしている国はいい。近隣では台湾も充実している。日本は一企業の顧客データのみ(明治安田生命とベネッセ)。
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かれらの論文(2010)Fitting In or Standing Out: Trends in American Parents' Choices for Children's Names, 1880−2007