2018/10/31

「園名」

 中村薫さんのエッセイで伊奈教勝さんのことを知った。彼はハンセン病者で、岡山県の長島愛生園で40年、隔離生活を送った人だ。その伊奈さんのことば、「仮面をかぶるようにして本名を隠してものをいっても相手に通じないのです」がエッセイのリードだった。

 その関連で、真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会を知った。同会が作っているパンフレットの表紙が伊奈さんの言葉だった。

 私は本名を名告る。本名を名告って「らい」の現実を訴える。

 そこには、伊奈さんの名前とともに、(藤井善)が添えられていた。その文章で知ったのが「園名」という言葉だった。園名といえば、公園名や幼稚園名しか連想できなかったボクにとっては何のことかわからなかった。療養所内での名前だったのである。伊奈さんは40年も藤井として生きることを強いられた。

 「かつてハンセン病療養所に入所、隔離させられた人たちは、それまで使っていた本名とは別の名前を使わせられるということがありました。また患者の方々も、自分が病気になったせいで家族を大変な目に合わせたくないという思いで、それまでの本名を捨て園名を使わざるをえなかったのです」(上記パンフレットより)。

 韓国にもハンセン病療養所はある。日本植民地時代、朝鮮総督府は創氏改名を強いたことはよく知られているが、「園名」もあったのだろうか。関連書を調べるなかで、滝尾英二さんの『朝鮮ハンセン病史:日本植民地下の小鹿島』を知った。力作だ。

 園名に関する記述に出くわした。管理を強めた第4代(小鹿島慈恵医院、小鹿島更生園)長の周防正季(すおうまさすえ)を刺殺した李春相は「園内では李春成といっていた」(入所者の証言)。

 これが園名なのかもしれない。

 伊奈さんは中村さんの叔父だった。