2019/06/30

ふと思い出し(12年前の記事)

ネット君臨:私の提言/3 子どものために
2007年6月30日 毎日新聞 東京朝刊 28面

◇利用制限は必要-家庭でルール作りを

 会員制交流サイト、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の利用状況を調査したところ、実名や顔写真を公開している人が約6割を占めた。詳しく自己紹介する人も過半数に上る。コミュニケーションは本来、互いに自らの情報を出すところから始まる。SNSの人気ぶりには、過度の個人情報保護や匿名化による実社会の息苦しさがうかがえる。

 今から20年ほど前、パソコン通信が生まれた時から、ネットはコミュニケーション志向の人を集めてきた。パソコン通信のニックネーム、携帯電話のメールアドレスには、「自分」を表現したいとの意識が見て取れる。

 しかし、ネットの研究当初には予想できなかった現象が、憎悪感情の噴出だ。敵意や攻撃的な感情は、社会の目を意識することで、すぐに表したり行動に移してはいけないことを学ぶ。だが、ネットでは社会的ブレーキが利きにくく、欲求不満のはけ口になりやすい。そうした憎悪の書き込みが一つでもあると「自分だけではなかった」と確認でき、増幅される傾向もある。

 ネットでは、他人からの反応を得やすい。SNSの調査でも日記を書けば必ずコメントが付く人が8割に上った。「読んでくれた」ということが心理的報酬として働き、書き続けることを促す。こうした「はまりやすさ」に加え、自分本位のペースでできる気楽さもあって、ネットは対人関係で大きなウエートを占めるようになった。

 子どもも同じだ。以前であれば大人しか入手できなかった情報が年齢に関係なく手に入るようになり、大人世界と子ども世界との境目がなくなった。ここからは家族の時間、などという生活の「切れ目」もなくなりつつある。転校してもネットで情報が伝わり、いじめが続く。時間的にも空間的にも境界のないストレスの連続に、そもそも人間は耐えられるのか。こうした影響に関する本格的な調査はまだ行われていない。

 ネットに費やす時間が増えれば実社会での経験の機会が奪われ、バランスの取れた生活が困難になる。心身とも発達途上にある中学卒業までは、ネット利用に枠を設けることが必要。心理的な影響にもふれたネット教育が小学校高学年ぐらいから始められるといい。

 一方的な禁止は反発を招くだけ。子どもの言い分を聞き、親の気持ちを伝えた上で、テレビやゲームの時のように各家庭でルールを決めてはどうだろう。


その後、この記事は同年秋刊行の『ネット君臨』に再録された。162-164ページ。こまかいことで言うと、単行本では「子ども」が「子供」になっている。もう一つの発見。写真を見ると、取材時に来ていたシャツを今も着ている。

2025年もムリしない

ある記事をたどって行きついたのが、シニアメガネさん(東京で暮らす窓際族。 ボーッと暮らしています、らしい)の note 。 その中の記事がこれ→「 週に2回ピアノを弾く暮らし 」。 「◯◯な暮らし」をぜひ本文で。 シニアメガネさんの 今年の目標 もぜひ。そう(賛同の意)。「ムリし...