2019/08/18

日本語の英訳の日本語字幕

「エル・ジャポン」に連載されたエッセイが一冊になった。松田青子さんのエッセイ『じゃじゃ馬にさせといて』。

ステレオタイプに関連するものが多い。

「私が「アジア人」じゃなかった瞬間」も「整理整頓は新しいセクシーも」も。

 後者にNHKワールド制作のTidy Up with KonMari!というこんまりの番組が出てくる。今年、ネットフリックス版が作られた。
そういえば、こんまりの番組で気になったのは、日本語字幕だ。こんまりはだいたい日本語で話すので、字幕がなくても私たちは理解できる。でもこんまりの発言で英語に通訳された部分だけが映像で使われる時は、ほかの英語話者と同じく日本語字幕が出る。すると、こんまりはですます調で話しているはずなのに、日本語の字幕の語尾が「〜だわ」「〜よ」になるのだ。(略)本人が直前まで「〜です」と話しているのにもかかわらず、「〜だわ」とされるのは、思考停止しているような気もしてしまう。この番組と『クィア・アイ』でもそうだけど、ゲイの男性の語尾がちょくちょくいわゆる女言葉に翻訳されているのもおかしい。固定観念を振り払おうとしている番組で、字幕が固定観念から抜け出せていないのは、やっぱり残念だ。
いつも和訳で迷うのが会話の語尾。ステレオタイプと思いつつ、「〜だわ」的をしばしば採用する。それだけで女性であることが伝わり、他に説明がいらないからだ。しかし悩みは消えない。

大阪大学の金水敏さんは、ジェンダーや年齢、職業などに固有の言い回しステレオタイプを役割語と呼び、その役割を追究する。
a. おお、そうじゃ、わしが知っておるんじゃ
b. あら、そうよ、わたくしが知っておりますわ。
c. うん、そうだよ、ぼくが知ってるよ
d. んだ、んだ、おら知ってるだ。
e. そやそや、わしが知ってまっせー
f. うむ、さよう、せっしゃが存じておりまする。
 同じ内容を伝えようとしているのですが、日本語にはこんなにいろいろな言い方があるのだということにまず気づかされます。では、それぞれの文を話している話者はどんな人か、次のリストから選んでください。
 1 関西人  2 老人  3 男の子  4 武士  5 田舎の人  6 お嬢様

フルネームで呼んでくれてありがとう

スティールの『 ステレオタイプの科学 』に、こんなエピソードが紹介されている。  ある伝説の英雄と同姓同名の人物に出会ったことで、研究上の疑問が解けたという話である。  シャーマン・ジェームズは、人種による健康格差の問題に取り組む公衆衛生研究者である。たとえば、アメリカの黒人は白...