Bauhaus Two Houses© Verena von Beckerath
2019年、38分
東京都内には、バウハウスの影響を受けた住宅が2軒残っている。
1934年完成の「三岸アトリエ」は、バウハウス・デッサウに妻の道子と留学していた山脇 巌(1898年~1987年)によって設計された。1940年建設の山口文象自邸は、建築家でバウハウスの初代校長のヴァルター・グロピウスの事務所に勤務していた山口文象(1902年~1978年)がデザインした。
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映画『Two Houses』はこの2軒を取り上げ、バウハウスと日本の関係を考える。2軒の建設当時から現在までの居住者の物語と住宅での日常生活を描く。
映画は2019年1月~4月、東京、ベルリン、ワイマールで撮影され、ワイマール・バウハウス大学で製作された。
助成:チューリンゲン州首相府、ワイマール・バウハウス大学卒業生事務所、IFAドイツ対外文化交流研究所、ドイツ連邦共和国大使館
後援:ドイツ連邦共和国大使館
監督:ヴェレーナ・フォン・ベッケラート
助監督:ニクラス・ファネルザ、モモコ・ヤサカ、マクシミリアン・フォン・ツェペリン
撮影・音響・編集:イェンス・フランケ
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上映に先立ち、立命館大学グローバル教養学部准教授ヘレナ・チャプコヴァによる解説があり、上映後は制作チームによるトーク。
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うん。うん十年ぶりのゲーテ・インスティトゥート。
今年はバウハウス設立100周年。上映企画は、それを記念した「バウハウス オープン・エンド」の一環。
映画終了後、制作チームによるトークがあった。メンバーの大半は建築家。家の保存方法が話題になった。以下は、ボクのまとめ。
建築史家はHouseに関心があり、建築家はHome(あるいは、家と人の相互作用)に関心がある。建築史家は建物や図面で記録を保存しようとし、建築家はインタビューや写真で記憶を残そうとする。
(日本の)住宅雑誌を見ると、家の写真には人が写っていないので、ちょっと意外な発言だった。ドイツと日本の違いかもしれない。建築家は住宅を作品とみなす人が多い。しかし、壇上にいた建築家たちは住宅を器と見ている。ありふれた言い方だが、そこに人が住み続けて家になるという発想だ。その意味で家に完成はない。家の中に公共性をどう取り込むかもその延長上にある。家族以外の人が集まったり、ということだ。バウハウスの家づくりには、それが反映されている。
映画に盛り込めなかった部分をフォローするため、テキストを作ったという。見てみたいが、あいにく詳報の紹介はなかった。
逐次通訳者(写真の右端の人)の仕事が見事だった。的確でわかりやすい翻訳(英語も)。長い話もうまく整理されていた。誰だろう。
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参考 デザインの歴史を知ろう:バウハウス・ムーブメント
https://99designs.jp/blog/design-history-movements-ja/デザインの歴史を知ろう:バウハウス・ムーブメ/
上映に先立ち、立命館大学グローバル教養学部准教授ヘレナ・チャプコヴァによる解説があり、上映後は制作チームによるトーク。
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うん。うん十年ぶりのゲーテ・インスティトゥート。
今年はバウハウス設立100周年。上映企画は、それを記念した「バウハウス オープン・エンド」の一環。
映画終了後、制作チームによるトークがあった。メンバーの大半は建築家。家の保存方法が話題になった。以下は、ボクのまとめ。
建築史家はHouseに関心があり、建築家はHome(あるいは、家と人の相互作用)に関心がある。建築史家は建物や図面で記録を保存しようとし、建築家はインタビューや写真で記憶を残そうとする。
(日本の)住宅雑誌を見ると、家の写真には人が写っていないので、ちょっと意外な発言だった。ドイツと日本の違いかもしれない。建築家は住宅を作品とみなす人が多い。しかし、壇上にいた建築家たちは住宅を器と見ている。ありふれた言い方だが、そこに人が住み続けて家になるという発想だ。その意味で家に完成はない。家の中に公共性をどう取り込むかもその延長上にある。家族以外の人が集まったり、ということだ。バウハウスの家づくりには、それが反映されている。
映画に盛り込めなかった部分をフォローするため、テキストを作ったという。見てみたいが、あいにく詳報の紹介はなかった。
逐次通訳者(写真の右端の人)の仕事が見事だった。的確でわかりやすい翻訳(英語も)。長い話もうまく整理されていた。誰だろう。
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参考 デザインの歴史を知ろう:バウハウス・ムーブメント
https://99designs.jp/blog/design-history-movements-ja/デザインの歴史を知ろう:バウハウス・ムーブメ/