2020/03/05

矢印

ムナーリ展の図録、『ブルーノ・ムナーリ』に矢印の話が出てきた。

岩崎 清*「ブルーノ・ムナーリ:視覚言語の海へ」から
*日本ブルーノ・ムナーリ協会代表

ムナーリ(1907-1998)は文字では表し難い次のような例をあげている。矢尻のついた棒、つまり矢印を例にしながら、記号の意味について鋭い考察を与えている。矢先の形がどんなにしろ、鋭くても鈍くても矢の形状をしていれば、それは「矢」であり、ある方向性を示す記号である。もしその矢の形状がなければ、それは単なる棒にすぎず、その矢の形状がありさえすれば、矢印の意味をもっていると言っている(『芸術としてのデザイン』ダヴィッド社、1973年)。

 確かに矢印は、その矢の向く方角へなんらかのエネルギーの移動、放散、放出を意味している。わざわざ「会議室の方へ」と書かなくても、「会議室」という表示の横に矢印を書き添えれば、その方向へ進んでくださいという意味になる。いくつかの矢印によって誘われて、迷路のような複雑な道を抜けて、目的地に到達した経験は誰にでもある。

 矢印がない場合を想定してみる。道が二股、三叉路、十字路、あるいは複雑に交差する地点で、矢印がなければ、行く先を「どこそこの道をお進みください」などの文字案内板を掲げなくてはならない。ここで、矢印が一つあれば、文字の代わりに「進行方向」を示してくれる。そして、わたしたちは、文字より多くの情報を含む矢印のもつ重要な意味が分かってくる。


 家の中に矢印はない、たぶん。矢印がある場合を想定してみる。家が違って見える。矢印の先に行くのがこわくなる。

【参考】
川浦康至 (2016) 矢印はすすり泣いている : 記号の楽しみ2 コミュニケーション科学, 44, 91-100.