2020/03/07

LewinとLenin

レヴィンに関する小文を読んでくれた知人からメールが届いた。その中にうれしい情報があった。彼が来日したことは知っていたが、このエピソードは知らなかった。
戦争中?の日本でも、Lewinの研究会が開かれていたそうです。当時、葉書でその案内を出すときLeninと見間違われるとおおごとになるというので、研究会の名前を変えたとか。そういうエピソードが、どこかの本に書いてあったような、どなたかの先生から聞いたような気がします。
調べると、こんな論考が見つかった。「どなたかの先生」とは相良守次だったのかもしれない。

相良守次 (1984).  木曜会の頃 人間科学研究(文教大学人間科学部紀要), 6, 90-97.
本資料は、相良守次教授から伺った、先生と心理学をめぐるさまざまなお話の中から、戦前日本の心理学の動向についてのお話の一部をまとめたものである。今回の資料は、昭和初期に東京帝国大学の学生・若手研究者によって開かれていた「レヴィンクラス」=「木曜会」のことなどを中心に、レヴィンの来日のこと、また先生の高等学校時代の話題などによって構成されている。本資料を得るための会合は、1982年12月17日神奈川県箱根対岳荘および1983年12月20日同湯河原敷島館で行なわれ、相良教授のほか、人間科学部心理学研究室のスタッフ全員(高柳信子、岡堂哲雄、上杉喬、秋山胖、丹治哲雄、大熊保彦)が参加した。敷島館での会合には、人間学専修の森井利夫教授も出席している。なお、本資料の収集と整理にあたり、1982年度および1983年度学部共同研究費の援助を受けたことを付記する(人間科学部心理学研究室一同)。
あいにく会の改称に関する経緯は見当たらなかった。

「レーニン」「レヴィン」「木曜会」で検索した。すると、こんな記事がヒットした。

集団の理論、集団の影響力 メンバーと職場~レヴィンの足跡~

その中に改称の件がちらっと出ている。
レヴィンは1933年に、アメリカでの講演の帰途日本にも立ち寄っています。日本では当時東京大学の学生を中心としてレヴィンの著作を読む「Lewin研究会」が開催されていました。ところがこの名称が「レーニン研究会」と警察に間違われる危険があったため、毎週の会合日をとって「木曜会」とあらためられたそうです。
この原典はわからないが、一応、一件落着。