2020/04/17

大城さんの新刊(その1)

大城冝武(よしたけ)(2020)『風刺マンガで読み解く米軍占領下の沖縄』沖縄タイムス社。副題は「1950年代・「島ぐるみ闘争」の時代」。

 1950年代、「琉球新報」と「沖縄タイムス」の二紙に掲載された時事マンガを「神は細部に宿る」と言わんばかりに解読してみせる。

 1950年代の沖縄に何があったのか。1952年、琉球政府設置とサンフランシスコ講和条約発効。これによって沖縄の三権は米国が掌握、住民の土地を強制接収、そこを軍事基地とし、軍事植民地化が始まった。

 米民政府は琉球人同士の対立をあおる統治手段を行使した。たとえば軍用地強行接収に対する反対デモを阻止すべく風俗営業者を動員した。デモ中止をオフリミッツ*解禁の条件としたからである(「住民対立の構図、鮮明に:基地依存経済を利用」から)。
 * オフリミッツとは米軍によって出される指令で、米軍人・軍属・家族が民間地域へ出入りすることを禁止する内容です。米軍に対する沖縄住民のデモや抗議集会などのトラブルを避けることを名目としましたが、実際は基地に依存している地域へ経済的ダメージをあたえるという意味あいがありました。特に基地依存の強かった沖縄本島中部地域は、この処置をもっとも恐れていました。運動を分断した。(沖縄県立総合教育センター
終章は「変わらぬ構図〜宮森小ジェット機墜落事故から60年」。 1959年のこの事故を取り上げたのが「児童ら17人死亡の大惨事:犠牲は際限なく続く、今も」。

 なぜ「今も」なのか。事故当時、空軍はパイロットの談話を発表。「最善を尽したにかかわらず不幸が起きた。これは不可抗力」。「機をコザ方面から遠ざけることに成功した」と自らの技量を誇るまでに至った。墜落から40年後、新事実が明らかになった。事故調査委員会の資料が見つかったのだ。それによると、事故原因はエンジン故障の不可抗力ではなく、(1)整備不良、(2)整備管理者の責任、(3)着陸時のパイロットの技術責任、(4)飛行前の点検を怠った整備担当者の責任の4点だった。
 
 その後も事故は続き、似た主張が繰り返される。なかでも2004年の沖縄国際大学ヘリ墜落事故・事件は忘れられない。

 8月13日午後2時15分、沖縄国際大学に米軍普天間飛行場所属のCH53Dが墜落、炎上。沖縄国際大学のキャンパスのすぐ隣は普天間飛行場。その後、オスプレイが配備されている飛行場だ。
当時の在日米軍司令官ワスコー中将は人的被害がなかったことをいいことに「被害を最小限に食い止めた。素晴らしい功績があった」と称賛した。
度し難いのは、日本の町村信孝外相が「(パイロットの)操縦技術が上手だったのかもしれないが、よく最小限の被害にとどまった」「すごいなと思った」と同趣旨の発言をしてしまっている。変わらぬ構図、などと表現するのも生易しい。

 事故・事件現場の近くには碑が立れられた。一度行ったことがあるが、通りを挟んで住宅が立ち並ぶ。犠牲者が出なかったのは奇跡でしかない。

 本書のもとになっているのは、「沖縄タイムス」に毎月連載された「沖縄マンガ史」である(2013年1月から17年12月までの60回分のうち21回以降)。読んでいると、当時を追体験しているような錯覚に襲われる。テンポが小気味よい。索引もあり、資料価値を高めている。



本浜秀彦(文教大学教授)による書評はこちら



 大城さんとは、マンガの内容分析以来のお付き合い。退職後ますますの意気盛んぶりは真似できないが、励みだ。今回は『絵解き「琉球処分」と東アジアの政治危機』もいただいた。読了次第、紹介する。一人でも多くの人に読んでほしい。