2020/05/07

おんち孝四郎

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これら、すべてが恩地孝四郎(1891-1955、東京新宿生まれ)。
恩地の姓が「音痴」と同音であることを自分で揶揄しながら、彼は好んで音楽を表現の題材にした。それを「交流芸術」の名でよんでエッセイに書いた。 
「もし僕の年少、家庭に一台のピアノありせば、僕はえかきにならなかつたのかもしれない」
池内紀『恩地孝四郎—一つの伝記』幻戯書房

 この本で、これまで点でしか知らなかった版画家が次々とつながっていった。その意味で、本書は版画家列伝になっている。

 (山の人、一番好きな版画家)畦地梅太郎、(高校の先輩)池田満寿夫、(文明開化を好んで題材にした)川上澄生、(風景版画で知られる)川瀬巴水、コロナ禍で行けなかった津田青楓、美人画の竹久夢二、(ゴッホになった)棟方志功、(美術教育と創作版画の)山本鼎、(水彩から転じた)吉田博。

 今までそう思ったことがなかった。本書に、こんな件(くだり)がでてくる。「油絵が主としてブルジョアの子息たちの優雅なたしなみであったのに対して」、
版画は板と小刀がありさえすればできる。
ボクが版画、なかんずく木版画に親しみを感じるのはこのことだったのかと、いまさらながら合点がいった。
無名の青年たちによる「版画の青春」を生み出たものは、何よりもその手軽さにあった。板切れ一枚と、先の尖った刃物があればいい。道具は自分で工夫すればよろしい。こうもり傘の骨を折って、先っぽを削り、コマスキと呼ばれる丸刀をつくった。創作版画はまず木版彫刀の工夫からはじまった。もっとも、そのころこうもり傘は、そうやすやすとは手に入らなかった。
何かのことでコウモリの折れたのが町に出まわると、さっそく仲間に情報が流れ、一目散に駆けつけてきて傘を分解し、骨をわけっこして宝物のように持ち帰った。
当時、洋傘は大半がスウェーデンからの輸入品、目が飛び出るほどに高かったという。

 昨年、青森県立美術館で見た版画教育運動での作品展を思い出した。非ブルジョアというかプロレタリアート(「アート」が隠れているぞw)の表現手段。それが版画、厳密には木版画だった。

 本書には意外な人も出てくる。遠藤新、北原白秋、諏訪 根自子、西村伊作。

 「明治」は富国強兵、殖産興業、国威発揚と、川本三郎曰く「実利」の時代だった。つづく「大正」は、たしょう余裕ができたのか、デモクラシーと芸術の時代だった。その大正時代の雰囲気が、この本から伝わってくる。