2024/11/01

アルマンとフレデリック

アルマンとフレデリック、ふたつの「名前」を持つ(持たされた)少年がいる。この人物の症例を、私は大澤真幸の論考「自由の条件」(大澤ほか『生き抜く力を身につける』筑摩書房)で知ったのだが、大澤は芹沢俊介の論考(『現代〈子ども〉暴力論』春秋社)で知ったという。芹沢は、児童精神分析の創始者、フランソワーズ・ドルトの著作『無意識的身体像 1』(榎本譲訳、言叢社)で知ったという。

簡単にいうと、施設に預けられた少年は、生後11か月のとき、養子縁組が決まり、養父母に「フレデリック」という名前をつけられた。7歳になっても、尿失禁や知的遅滞を示したため、養父母はドルト医師のもとに連れて行く。治療は奏功し、失禁もなくなり知力も回復した。しかし、一つだけ問題が残った。それは彼が、文字を読もうとも書こうともしなかったことである。ただ絵だけは描き、そのいたるところに「A」という文字を書きこんでいた。ドルトはこの文字が、人名ではないかと推測。調べると、養子になる前の名前は「アルマン」だった。
 
ドルト医師は少年に「AはアルマンのAではないか」と尋ねると、「あなたは養子にもらわれてきたとき、名前が変わってつらい思いをしたのでしょうね」と話しかけた。しかし彼は何の反応も示さない。その時、医師にある直感がはたらいた。「彼を直接見ないでアルマンと口にしてみよう」。天井やテーブルの下に向かって、まるでどこにいるのかわからない人に声をかけるように「アルマン、アルマン…」とよびかけた。すると、少年は声の方向にじっと聞き耳を立てた。やがて二人の視線が出会うと、「アルマン、あなたが養子になる前の名前はアルマンでしょう」と話しかけると、彼のまなざしが強く光った。

このときの経験をドルト医師は次のように解釈した。「この時、彼の中で失われていたアルマンが、フレデリックという、今の自分につながった。それによって少年は、アルマンではないフレデリックという自分を受け入れることができるようになった」。少年は2週間後、読み書きができない状態から抜け出すことができた。

「よほどの重大な理由がないかぎり、子供の名前は変えないほうが良い」。

なぜ彼は、どこからか聞こえてきた呼びかけに反応したのか。それはその声が、誰のものでもない、未知の人の声のようだったからだ、と医師は分析した。未知の声だったため、少年は他人に強制されてではなく、自らの力でその声に反応することができた。その結果、今の自分、つまりフレデリックを受け入れることができた、というのである。7歳の少年は、こうして人生を選びなおした。

・どこかの入試問題
・敬和学園高校の校長訓話

「詠まざるを得ぬ」

「ふるさとの基地に殺された娘たち隆子に由美子徳子も里奈も」玉城洋子  天声人語(2025/01/11)で紹介。 「基地に殺された娘たち」三十一文字に詠まざるを得ぬ、目の前の現実  朝日新聞 2022年9月5日 10時00分 米兵に、そして米軍事故に。