2025/02/02

「 家族のこと話そう」2題

東京新聞の「家族のこと話そう」から。

宮崎 学(まなぶ。1949年、長野県中川村出身。写真家)

 せっかく親に「学」という名前をつけてもらいましたが、学校の勉強は嫌いでね。何でみんなと同じことをしなくちゃいけないんだと。当然成績は悪く、高校に行きそびれました。両親は息子の進路に何も言いませんでした。「自分の好きなことをやれ」と。昔は教育に関する情報が少なく、あれこれ言えなかったこともあるのでしょう。

▲ 東京新聞 2025年2月2日 朝刊

 「勉強」は嫌いでも、名前まで嫌いではなかったようだ。名前を音読みした写真塾「Gaku塾」を主宰している。写真家・宮崎学と森の探偵団 https://owlet.net

小椋 佳(1944年、東京都台東区生まれ)

 高校時代の僕は哲学少年というのか形而上的な悩みを抱え深い泥沼にはまりこんでしまった。いろいろな思想書を読んだが、どうしても解答がみつからない。一種のノイローゼになってしまったんです。長男が生まれて四年後に二男が生まれた時、僕の本名(※ 紘爾:こうじ)と同じ名前を付けた。この時の重荷を彼におっかぶせたんです。親の借金を子に背負わせたんですね。

 この子が中学の時、脳梗塞にかかって、肉体的に大きな重荷を背負ってしまった。名付けた時のことを思い出して胸が痛くなりましたが、この時ほど家族が家族であった時もなかった。彼の存在が家族のきずなを深めてくれました。(略)この後、急速に手足の機能が回復していく。本当に感動して涙が止まらなかった。いま彼は、僕の会社で働いています。まだハンディはあるけれど、すっかり元気になっちゃった。

▲ 東京新聞 1992年4月15日 朝刊(東京新聞生活部編 1997『家族のこと話そう』東京新聞出版局)

 宿痾めいた名前を子に付ける人もいる。小椋佳倶楽部 https://ogla-kei.club