取り替えてしまったら、それでもわたしはわたしであり続けることができるのだろうか」。
と問うのは、森本あんりさん。以下は『魂の教育』から。
生まれたときの名字は福島。5歳のとき、生母の病死で父親が再婚が再婚。子連れで森本家に入籍。祖父にはよく「おまえが嫌いだ」と吐き捨てるように言われ、何か気に触ることがあると「森本の家でそういうことをするな」と叱られた。「だからわたしは今でも自分の名字が嫌いだ」。それに続く一言が表題である。
さて「あんり」。「どうしてそんな名前なのですか」、半世紀にわたって受け続けた質問だという。「男の名前にしては珍しいし、ひらがなで書くのはさらに珍しい」。
「自分の名前の由来を尋ねられるのは、あまり嬉しいことではない。プライバシーとまでは言わないが、本当のところはやや込み入った話になるので、初対面で誰にでも打ち明けられるようなことではない」。ふざけて、母方の祖父がフランス人でしてとか、聖書から取られたとか、と答えると、だいたい、納得するというからおかしい。もちろん、これらの理由は嘘である。名付けたのは父親。
以下は、本人が直接聞かされた話である。
出生時の届出は杏理。ところが名前に使える漢字の制限から、「杏」が登録できなかった。それでひらがなに書き換えたのだという。父の思い入れは相当で「世界一すばらしい名前だ」と言うばかりだった。杏という字は、当時流行した「崑崙越えて」から取られた。歌詞の一節「杏花咲け、荒野に血潮は燃えて」がルーツである。崑崙山脈の彼方にある桃源郷への憧れをうたった内容で、「努力して美しい花を咲かしてほしい」との願いが込められていた。同時に、冷静にことわりを追求する知性ももってほしい、その2字が杏理だった。
聖書に杏は出てこないが、「あめんどう」すなわち「アーモンド」は何度か登場するらしい。アーモンドは痩せた土地でも見事な花を咲かせ、杏と同属である。そのことの意味を50歳目前の時点で著者は悟る。その経緯が最終章「運命と自由」で語られる。
自分の名前にはからずも織り込まれた「杏」(あめんどう)という字の正体が時を超えて姿を現し、わたしはようやく自分が自分になったことを悟った。自分の名前と折り合いをつけることができた。今でもあまり好きじゃないけれど、まあ仕方がな、残りの人生をそれでやってゆこうと覚悟を決めることができた。
名前が再解釈された瞬間だった。